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キャプテンアメリカ シヴィル・ウォー

長野に住んでいますが東京に負けず劣らず30度を超えて茹だっています。

このままずっと暑いならまあいいんですが、夏日がちょっと続いたと思ったら

今度は一気に最低気温が10度を切る始末。

一週間で寒暖の差が二十度超えるのは体調がガタガタになるので止めて頂きたい。

それはともかくタイトルのシヴィル・ウォーを見てきました。

アメリカ版ジャンプ祭りみたいなヒーロー大集合。

キャプテンアメリカ以外にもアイアンマンとかアベンジャーズとか このあたりのアメコミ映画それなりに追っかけてないと厳しい方も居るかもしれない。

が、個人的にはとってもツボな映画でした。

(こっからネタばれ含む)

普通、混ぜない。

これはヒーローたくさん出すなとか、そういうのではなくて

ライトな話とダークな話の混ぜ方の話。

エンタメって基本、軽い話から重い話には行きやすいのですが、

重い話から軽い話へは難易度が上がるんですね。

ドラえもん、ポケモンやプリキュアでもいいです。

これらの話で滅多に人は殺されませんよね。

あっても、その死を痛く見えないように、丁寧にぼかします。

これは子供向けとかレーティングの問題というだけではなくて、(もちろんそれもありますが)

作品のテイストが大きく変わってしまうからできない、やりにくいというのがあります。

これは人死に以外でも結構あります。

ポケモンなら、

「サトシがピカチューを庇って利き腕を吹き飛ばされ血まみれになる。

義手をつけて再起するが、昔のようにモンスターボールを投げられず苦戦し、ついに引退する。

しかし、ポケモンマスターになる夢は燻ったまま消えることは無かった。

あたり構わず当たり散らすサトシの周りからは一人、また一人と離れてゆく。

「ケダモノに俺の気持ちがわかるもんか」

最後に残ったピカチュウすら、サトシは自分から追い出してしまう。

失意のどん底で荒みきった生活を送るサトシの前に、ピカチュウが戻ってくる。

「ピカァ・・・」

引退した時に捨てたはずのモンスターボールが足下に転がる。

「今更そんなもん持ってきてどうしようってんだ」

あちこち擦り傷を作り、泥まみれのピカチュウに一瞥をくれ、サトシは吐き捨てた。

しかしピカチュウは懸命になにかを訴える。

昔なら、何を言いたいかなんてすぐにわかった。

だが、もうわからない。ただの騒音でしかない。

「うぜぇ・・・・・・」

苛つきは限界を超え、無造作にピカチュウを蹴り上げる。

「ピキィッ!」

これでコイツも二度と俺のところにこないだろう。

いけよ。早く、行っちまえ。

無言で背を向け去ろうとしたその時、光が爆ぜた。

「ビガァァァァ!!」

「な、なんだよ?何、怒ってんだよ・・・・・・」

こうして以下略

いつしかサトシは、左手で投げられるよう特訓を始めていた」

とか、話としては別に構わないのですが、それをするとポケモンではなくなってしまう。

俺は好きだけどこういう話。

適当にでっち上げるつもりがなんか長くなって熱入ってきたのでケツはショートカットしました。

この後サトシの義手をピカチュウが食いちぎっちゃうんですよ。

ピカチュウの本気がポケモン相手でなく、自分に向けられてションベン漏らすんですよ。

そして怯えきったサトシの前にモンスターボールをもう一度転がすピカチュウ。

呆然とするも、おまえが義手をぶっ壊したんじゃねぇか、無理なもんは無理なんだよ、どんな義手使ったってダメなんだよ。

切れ切れにこぼしながら最後に「ポケモンマスターは、もう、無理、なんだよ」と口に出したところで堰を切ったように号泣するサトシ。

ピカチュウは泣き止まぬサトシの左手の前に、そっとモンスターボールを置いた。

そして利き腕でないとモンスターボールが反応しにくい理由とかでっち上げだしたところで我に返りました。

で、

このように作品ごとにカラーやスタイルがあり、お客さんもそれを感じ取って楽しむ訳ですから、

そこから外れすぎると野暮、ということになりがちです俺は好きだけど。

では先ほどの「普通混ぜない」ですが、何を混ぜやがったのかというと。

「答えが無いもの」です。

エンタメ、それもヒーローものだと、やはり悪役がいて、

たとえその悪役に事情があったとしても「悪は倒される」というパターンが根底にあり、

「主人公は正義の味方!」というポジションをキープするものです。

ダークヒーローものはそうじゃないと思われるかもしれませんが、

単に反社会的なだけで「これが俺の正義だ!」と体現します。

「正義ってなんだろう?」となり、模索する形になったりもしますが、

どちらにしろ「正義がある」前提なんですね。

シヴィル・ウォーで「やられた!」と思った点は、

共有可能な一意の正義、そんなものは存在しないということを

「ヒーローエンタメの枠で堂々と」提示し切ったことです。

ヒーローが二人、それぞれの正義を振りかざし対立。

ここまでは、よくあります。

そして仲違いする二人の前に共通の敵が現れて休戦、共闘して

うやむやになるパターン・・・・・・をしなかった。

そりゃTVシリーズで何シーズンもあるならいけそうですが、

二時間半しかない映画でアホみたいに登場人物出した上で

フツー、やるこっちゃない。

これ以上説明するとさらに長くなるし、かといって短くすると感覚に寄りすぎて

難しいのですが、さっきのポケモンのたとえをさらっと映画にして、

しかもその後のTVでは普段のポケモンの話にすんなり繋がってて、

相変わらずロケット団とドタバタしてたりポケモンマスター目指したり

してる感じとでも言えばいいでしょうか。

まあ、ともかく、面白かったし勉強になったなあというお話でした。

キャプテンアメリカの一作目、もう一度観たくなってきた。


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